日本の美術館

日本のベスト美術館と世界の美術館

美術館では展示品を楽しむだけではなく、空気感や空間そのものを感じて楽しむ事が出来ます。

美術館は作品を楽しむ為に照明や部屋の小物、配置、空間の通り道等を計算されて作られており、通常の建物とは違った空間演出をされている事も多く、紫外線ダメージ等をカットする為にも絵等が展示されている部屋には自然光が入らないようになっていても、通路等には美しく光が差し込むようになっていたり、ガラス展示品等では自然光を計算に入れて美しく見えるように演出したり、建物内部も美術館によって個性も違っています。

美術品の数々が活かせるような空間作りを行いますし、保存や状態の良さを突き詰めていますから、空気も美しくて他の空間では感じる事が出来ないような感覚を味わう事も出来ます。

有名な美術館等では美術館そのものが芸術品のようなものでもあり、作品と建物が見事に調和していますし、様々な美術館では定期的にイベントを行っていますから、そのイベントに合わせたような内部のデザインや配置の変更を行う事にもなり、イベントによっては違う顔を覗かせてくれます。

ですから展示品をどういう風に演出するか、どんな空気感を作っているのかも見所にもなりえますし、展示品とセットで空気管を楽しむ事が可能ですから、美術館に興味が無い方でも時々どっぷりと空間に漬かってみるのも気分転換にもなります。

美術館のようなスピリチュアルな雰囲気を電話で味わう事も出来ます。電話占いはこちら

日本の美術

美術の事が解らない、絵の事も彫刻の事も何も解らないという方も居ます。

こういう解らないというのは多くの場合に価値があると言われている美術品を見せられて、直観としてよく解らない、何故評価されているのかも解らないという自分の感性と、歴史的な評価の落差に美術自体に壁を感じてしまう事から来るものでもあります。

美術史的な見方で見ると価値があるものは確かにありますが、現在を生きる普段美術に触れていない人は現在の感覚で素直に感じる事が望ましいですし、自由に評価しても全く良いものです。

美術史を土台にする事で価値が解るものはありますし、当時の世相や求められた要素は現在と尺度が違っており、美術史的な見方はそのジャンルに精通していなければ解らない事は当然ですし、ジャンル特有の評価基準というのは美術に限らずどんな世界にもあるものです。

理解しなくても感じることは出来ますし、解ろうとせずにそのまま受け止めれば良いですし、最初は考えずに直観で感じる事が大切であります。

そもそも美術史的な見方や絵が解るというのは、ただ歴史的な位置づけや描き方や構図テクニック、作家の人生等のようなものが総合された知的な部分です。

こうした知的に判別出来る部分ではなく、情的に来る何となく可愛い、綺麗、美しい、悲しい、怒り、不安といった作品から受ける部分は、美術史等の知識が無くても素直に判断可能です。

そもそも解る事に正解は無く、美術史の専門家でも素人でも感じた事が正解です。

海外の美術と日本の美術

芸術品の中には時代を超えて愛されたり残っているものがあり、そういったものは多くの人を惹きつけ続けます。

彫刻でもミロのヴィーナス像や、ダビンチのモナリザ等、後世に語り継がれて時代が変わっても常に評価されるものがあり、こうした作品には普遍的価値が備わっていると言われており、普遍的価値というもは民族や宗教、国家を超えた人類共通の価値が作品に備わったものが普遍的価値のある作品として扱われます。

誰かにとっては優れている、どこかの文明では価値がある、特定の国、ジャンルでは価値があるというものではなく、誰にとってでも人間ならば理解出来る価値が普遍的価値と言えます。

ですから美術品等で普遍的価値があるものと言っても、絵や彫刻にも人によって好みがありますから誰にとっても優れていると判断する事は難しいですが、美しい人間の体を描く、彫刻にして残すという事は誰もが理解出来る作品になりえますし、それは時代を超えても変わらない理解出来るものです。

極論では普遍的価値は存在しないとも言えますし、結局1人づつ違う考えを持った人間ですし、価値観も違います。

ただ、普遍的価値は人間の根底に関わるものであり、個性の枠を超えたもの、誰しも感じれるがあり、美術品でもやはり多くの人間が感じる良いものは良いという普遍的価値を備えたものは存在します。

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